教育の成果はいつまで合格実績なのか


IQやテスト結果などの点数では測れない非認知能力が大事という議論が流行りです。

基本的にそれ自体は賛成なのですが、それを伸ばした方が良いというロジックが、将来お金をより稼げるとか、学歴が高くなるという話だと、20世紀的な感じでなんだかなぁという気持ちになります。

そうなると非認知能力も重要なのでしょうが、テスト結果は学歴に確実に因果関係があるし、大企業就職が稼げるならば、IQやテスト結果が良いも→学歴高い→大企業就職しやすい、となります。

21世紀らしく新しい教育や非認知能力の重要性をうたうならば、教育のゴールがこうしたものになることは寂しく感じます。こうした話に関心がある人は、そこが教育のゴールという前提で、効率の良い方法論を探している訳ではないでしょう。ただそれに代わるゴール設定をしにくい点が、教育業界のアキレス腱。



▼21世紀的な教育のゴールやKPIとは


では定性的な「教育結果」を設定しようとすると、これがまた難しいのです。共通単位でわかりやすく論じることができる、テストや学歴、お金でない場合、結局何が教育の成功か、という神学論争になりその回答は一人一人違います。

その「成果」が何であり、どこを目指すのかについて、各家庭や私立学校、私塾であれば、ある程度独自の考え方で学びを進められますが、全体の議論としてはやはり数字や何かしらの指標を持ってこなくては、進まないところがあります。


非認知能力も測ろうとする努力があっていい

そうであればベストでなくても、そうした特性もある程度測定できるようなテストや評価の設定が、非常に大切なのではないでしょうか。

例えば子どもの時から英語教育が必要だと思うならば、中学受験の科目に英語を入れるのが一番の打ち手です。リスニングが大切だと思うならば、リスニングのテスト割合を増やせば良い。

自分の考えをまとめる力や、表現する力が大切だと思うならば、小論文や自己表現を評価項目に入れればいい。学校だけでない課外活動を評価するならば、それも評価項目に入れればいい。


数字にはわかりやすくてひっぱられやすい魔力がある

こうやって書くと、数字やKPIを重大視する思想に聞こえるかもしれないですが、個人的には全くそうではありません。むしろ数字で測れること、数値化できることなんてたかが知れていると思っています。

ただ世の中や社会は、評価される指標がある限り、そちらに行動やプロセスがひっぱられてしまうのです。

日本の学校や教育の大筋は、今も大学の合格実績や学歴をベースに成果がうたわれ、その成果がでるようにカリキュラムが組まれています。

そういう意味で、非認知能力育成はもちろん結構なのですが、兎にも角にも目標とするKPI要素をもう少しアップデートできたらいいのではないかと思うのです。

また最後に従来の学力中心の学びか非認知能力かと、切れ味よく論じたいことはわかるのですが、認知能力か非認知能力かという二者択一の話でもないと思うのです。