英才教育とエリート教育。
少し言葉遊びな感じはありますが、こんな記事を面白く読みました。
「日本と米国の教育の視点について、いちばんの違い、それはどんな人間を社会に送り出したいのか、だと思います。つまり、教育するに当たって、どんな人間を育てたいのかという視点。日本の教育は『英才教育』、能力が高く、教えられたことをそのままアウトプットでき、グループの輪を大事にする、いわゆるよい子を育てることに重きが置かれていると感じます。一方、米国ではそれらはあまり重視されません。米国の教育は、『エリート教育』。自ら学びを設定し、答えを見つけ、論理的思考力を伸ばすことで、分析力・判断力・決断力を身に付け、自分の属するコミュニティーや社会に貢献できる子が求められます」
https://toyokeizai.net/articles/-/439089
新たな話なようで、従来の受験勉強とそれ以外、昔からある議論です。
本当の問題は昔から課題とされているにも関わらず、変わっているように見えない、ということかもしれませんね。
▼変化の兆しは見えてきた
私はここ10年、YUBU CAMPで子どもの英語教育に関わっていますが、変化の兆しは感じるようになってきました。
もちろん私がみている教育の現場はごく一部で、日本全体の教育現場を表したものではありませんが、色々な学校の取組、民間教育サービス、そしてこうした非認知能力を標榜する新たな学校の開校が相次ぐなど、変化を感じますし、それに関する問い合わせも増えるようになりました。
▼非認知能力育成=エリート教育なのか
非認知能力育成には賛成です。
しかしそれをエリート教育と呼ぶことには、メリットがないように思います。
非認知教育が素晴らしくて、本当に皆によいものであれば、エリート教育と呼んで一部のエリートだけの教育という印象を与えてしまうことは、残念です。
アメリカのエリート教育が素晴らしいとしても、それがエリートへの教育という話ならば、比較するのは日本のエリート教育であって、それを日本の教育全体と比較するのはおかしな話です。
エリート教育の話ではなく、アメリカ全体の教育と日本全体の教育の話となると、全く違う話になるでしょう。
▼非認知能力育成は大賛成
個人的には、非認知能力(これもまた難してわかりにくい単語ですよね)の重要性も、それを伸ばしていくことに大賛成です。
変化の兆しはあるといえど全体としてはまだ小さなものなので、そうした学びの選択肢が広がる動きは大いに歓迎したいと思います。