「名選手は名監督」よりも遠い話

英語の先生に必要なことは何でしょうか。


▼「話せる」と「教えられる」は違う

英語の先生がネイティブ・スピーカーかどうかという議論はよくありますが、ネイティブ・スピーカーが皆同じ訳ではありません。

もっと言うと、ネイティブ・スピーカーであれば教えられる訳ではありません。

日本語で考えるとわかりやすいですが、日本語母語である私達でも、日本語学習者に「て・に・を・は」の使い方の違いをわかりやすく説明できる人が、どの程度いるでしょうか。


▼名選手が名監督になるか、という議論よりも遠い話

似たような話で、よい選手はよい指導者になるか、という議論がよくあります。

この場合、指導者になる人は、少なくても自分が選手だった経験があります。

しかし英語教育の場合、ネイティブ・スピーカーなだけの先生は、自分が英語を学習した経験がありません。(母語を語学学習とは捉えないでしょう。)

またその先生が英語しか話せなければ、その人は外国語の学習経験もありません。

これだと名選手が名監督かの議論以前の話で、言語学習者という「選手」ですら、あったことがないのです。


▼言語能力以外に必要なこと

英語しか話せない英語の先生がよくない、ということではありません。

母語しか話せなくても、スキルや情熱があって素晴らしい先生はたくさんいます。

教えることと話せることが別物なだけです。

語学の先生に必要なものは、言語能力だけでは半分でしかありません。もう半分は先生としての要素、つまり指導スキル・指導経験・自身の学習経験・情熱が大切なのです。