天才少年の育て方から学べること

この記事を読んだのですが、お母様の向き合い方が素敵だなあと思ったので、今回はその紹介です。。

もちろん、この少年が世にいう天才であることは間違いないでしょう。

天才を生むことはコントロールはできない話ですが、私が感銘をうけたのは、子どもに対するこのお母様のアプローチです。

 

天才キッズが集う「孫正義育英財団」に潜入!数学に夢中な中1は、家庭でどう開花したのか?

 

▼子どもが好奇心を持つことをどんどんサポート

数字が好きだと思ったら「思いつく限りの数字のおもちゃを与えた」、ピアノや英語も好きだと思ったらどんどんやらせるなど、「我が子が興味を持ちそうなものはとりあえず体験させてみる」。

好きなことをどんどんやらせてあげたい、親がこう思うことは自然な気持ちです。

このお母様が素晴らしいと思う点は、「まだ子どもだから」「まだ●歳だから」と、いわゆる「大人の常識」で制限をかけなかったことです。本当に素敵ですね。

「小学校1年生のときに『Mathematics1001』という数学の洋書を与えてみた」「(数学の)いわゆる未解決問題の光さんの回答を前に、これは専門家にみてもらなくてはと、先生を探し始めました。」

 

 


▼日本の常識・大人の常識に縛られずに「その子」を見続けた親

さらにこれがもっと世の中の常識にとらわれていなくて、本当に素晴らしいと思いました。

天才は天才なので、世の中の「一般」にあてはめて考えない。

言葉でいうともっともなように聞こえますし、結果的にはそうだったのですが、育児の日々の現場でこうしたサポートができる親子関係・家庭環境には敬服します。

小学校時代は、勉強の進度が合わず結果として途中から不登校に。3年生頃から進度の合わない教科は、小学校の空き教室で恵美子さんが付き添って学習。学校行事や体育の授業などはできる限り参加していましたが、その様子を校長先生や教育委員会に理解してもらい、4年生頃ホームスクーリングの形をとることになりました。

簡単過ぎる教科は空き教室で自主勉強にお母さんが付き添ったと、さらっと書いてありますが、そんな簡単なことではありません。もちろん、そこに理解を示した学校も素晴らしいです。

ここまでの天才が、小学生レベルで一緒に勉強することは苦痛でしかありません。それはそうなのですが、飛び級もない日本社会で、「天才でも小学生の年齢なのだから小学校に行って皆と勉強するのが普通だ」ですませずに、親や学校がこうして積極的に対応をしたことが、この子が天才性を育てたことでしょう。

これはその子個人に見合った、パーソナライズ・カスタマイズした個人教育です。

 


▼標準的な実力以外の人は集団教育はフィットしない

ではこの子が天才だから、この子だけパーソナライズした個人教育が適切なのでしょうか。

その他の子は、集団教育にフィットしているのでしょうか。

天才ではないという理由で、1人1人にあった教育にふさわしくないのでしょうか。

私はそうは思いません。1人1人に合った学習ができるのであれば、それが望ましいと考えます。

 

▼本当の問題は早過ぎても遅過ぎても集団のペースに合わなくてなる勉強嫌い

実は学校一の天才秀才集団を除き、学校の授業が全て簡単過ぎてつまらない、ということはありません。

英語はできるから学校の授業はつまらなくて意味がないけれど、理科は苦手で学校の授業にもついていけない。

こうして同じ生徒でも、科目によって、集団の進捗に合わずに凹凸がでるのが普通です。

個々人で理解ができた学習は次に進み、その理解によって進捗スピードを変える。(完全習得学習)

こんな学習ができたら、理解や進みが早い子にも、そうでない子にも合った学びができるのではないでしょうか。